都営大江戸線「若松河田」駅、徒歩1分と交通アクセス 抜群でありながら、閑静な街並みに囲まれた新宿・河田町。
2002年6月、長い眠りから覚め、よみがえった スパニッシュ様式の館がある。礼法の宗家で有名な小笠原家第30代当主、小笠原長幹伯爵(旧小倉藩主)の本邸である。設計は当時最盛期を迎えていた曾根中條建 築事務所(明治41年~昭和12年)。昭和2年に竣工した。
掻き落とし仕上げと呼ばれるクリーム色の外壁にエメラルドグリーンのスペイン瓦。窓には鉄格子の飾りが施され、中庭を囲むロの字型のプランは、日本に希少な完成度の高いスパニッシュ建築と言われている。正面玄関、葡萄棚のデザインされた青空の透けるキャノピーをくぐり、大扉の内側に一歩入ると鳥かごの欄間が当時と変わらず訪れる人々を優しく見守っている。
その奥に、天空を舞う鳩の描かれたステンドグラスの天窓が復元され、柔かな光が注ぐ。チークの壁が重厚な印象の食堂には、かつて5男6女のお子さまと伯爵夫妻が囲んだ大テーブルが置かれている。柱頭装飾が可憐な客間中央には、小花が吹き寄せたようなステンドグラスが。日本最初期のステンドグラス作家・小川三知によるこの作品は、当初のものを締めなおして使っている。
そして、この館の最大の見せ場がイスラム風喫煙室の濃密華麗な装飾だ。漆喰彫刻に彩色を施した壁面も、大理石の柱や床も、往時のままの美しさを誇っている。庭に円く張り出したこの部屋の外壁には、生命の賛歌をモチーフにしたと言われる小森忍の装飾タイルが復元され、庭側の印象を華やかに印象付けている。
このような、当時の芸術の粋が結集した邸宅ができたのは、施主である小笠原伯爵の豊富な海外経験からくるモダンな生活や、朝倉文夫に師事し彫塑に堪能だった芸術に対する造詣の深さや、それに応えることのできる建築家の手腕による所が大きいが、建築家の曾根達蔵にとって小笠原家は建築家になる前、武士だった頃の主君につながる一族であり、中條精一郎は長幹伯爵と同じケンブリッジの留学経験を持つなど、施主と建築家の深い信頼関係が、かかわった人々の力を充分に発揮させていると思われる。
- 曽禰中條建築事務所
- 曽禰達蔵氏(1852-1937)と中條精一郎氏(1868-1936 作家・中條百合子【宮本百合子】氏の父)によって明治 41年(1908)に創設された日本初、かつ戦前最大の民間 建築事務所。作品は慶応義塾大学図書館(明治45年)東 京海上ビル(大正7年)如水会館(大正8年)日本郵船ビ ル(大正12年)などがあり、いずれも大正・昭和戦前期 の折衷様式の主流となる建造物といえる。